カテゴリ
以前の記事
2018年 03月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 01月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 11月 2004年 10月 2004年 09月 AUDAX JAPAN
http://www.audax-japan.org/
最新のトラックバック
フォロー中のブログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
90時間で1200kmを走る 「パリ~ブレスト~パリ」(以下PBPと略)は1819年に始まりパリからフランス北西部の港町ブレストまでの六百㎞を往復する最も古いサイクリングイベントの一つで、当初は10年毎、現在は4年に一度開催されている。40歳をきっかけに白動ニ輸から自転車に乗り換え各種イベントに参加Lていた私は「日本からもPBPに参加しよう」と2001年から始まった「日本ブルベ」に一回目から出走してその楽しさと苦しさに見事にハマってしまった。 *(ブルベとはフランス語で認定を意味し200㎞、300㎞400㎞、600㎞、1000㎞、それに1200㎞のそれぞれを時間内に完走しなければならない。) プロローグ☆教育で九州へ… 今年は4年に一度のPBPの年なのに職場の研修にも行くはめになってしまった。 PBPに出る為にはその年に200、300、400、600kmの4つのブルベの完走認定を受ける事が必要なので教育直前のゴールデンウィークに600㎞を完走して参加資格を得る。九州での教育は5・6月の2ヶ月間、この間は自転車に乗ることも出来ないのでせめて駆足で基礎体力が落ちないようにする。 ゴールデンウィーク直後から始まった研修も7月1日でやっと終了した。 福岡県の久留米市だが、 『二度と来るメェ』 と言われるだけあってかなりキツイ内容だった。 ・・・さて、いよいよ教育も終わり「どうせなら自転車で帰ろう!」と自宅より自転車を送ってもらい、研修終了後の火曜日の午後に小雨降る福岡を元気に出発した。ところが走り初めてみるといつもの速度を維持できない。坂でも向かい風でもないのに時速23㎞程でしか走れないのだ。 駆足で体力はそこそこ維持していたはずだが、ペダリングと使用する筋肉が異なっていて自転車乗りにとってはまったくブランクに等しい2ヶ月だったようだ。 遅い平均速度を補うのは休憩時間を減らすしかなく宿に着いても2・3時問の睡眠で出発せざるを得ない。 しかし無理が効くのも最初だけ、2日目ぐらいから速度はますます遅くなり思考能力も低下してきて頭の中は「埼玉まで帰ろう…」としか考えられない。 ルートはR3~R2~R1~R246。幹線道踏を走っていれば東京方面の看板はあるだろうと目論んだのだが、現実は白動車専用のバイパスに入り込んだり大阪・名古屋では川を渡れずに迂回路を探して迷子になったりと決して順調な旅ではなかったが予定から大幅に遅れた日曜日早朝の四時半に疲れ果てて帰ってきた。総距離1280㎞、5日と半日110時問の挑戦が終わった。2ヶ月ぶりの自宅、妻が出してくれたお茶をすすりながら話がはずむ。待ちくたびれて寝てしまった娘(小四)の「お父さん一がんばったね。」のメッセージにおもわず熱いものが込み上げてしまった。 さぁ!明日からPBPへ向けて走り込みだ。 そしてパリの地へ・・・ フフンスヘ!「日本から初めてのPBP参加だ」 …と士気も高い遠征後発隊5名(総勢では24名(選手20、スタッフ3、雑誌記者1)が夜の成田空港に集まった。一人でいると自転車のケースを引きずった見知らぬ人が来た。「PBPですか? 市川です。」そうか、この方が日本ブルベ最速マンの市川氏なのだ。 毎回一緒に走っているが、スタート前は大勢だし、出発するなり見えなくなって、私がゴールした時はすでに帰っていたので2年もブルベをやっていても顔は知らなかったのだ(^.^) まもなく友人の山口氏、ランドナーの池田氏にサイスポの松本氏も合流し機上の人となる。 ず~と夜間飛行なので空いている席で横になって休む。 早朝にドゴール空港に降り立ったが、猛暑のために死人続出のヨーロッパと聞いていたがすでにピークは過ぎていて涼しいくらいである。手配済みのワゴンタクシー?で先発隊のいるホテルへ。 荷物をホテルに預かってもらったのでレストランで朝食。(20ユーロ、日本円では¥2,500円ぐらいでえらい高い朝食をしっかりいただいた)後にはエッフェル塔へ行ったり(階段で登った)して近場の観光を楽しみ、先発隊と午後に出発地近くのホテルに移動する、ホテルに着いてからも自転車の準備や食料の買出しそれにスタジアムでの車検や受付などで大忙し。 1日目 4,000人のサイクリスト 出走は夜の10時。90時間以内で完走するため休息や睡眠時間を極力少なくする作戦なので朝のプロローグの市中パレードで30kmばかりを走ってスタート会場(運動場の400mトラック)の隣の体育館(受付や閉会式場)のベンチで横になる。 《午後の出走まで時間があったひと時-日本グループ》 夕方主催者用意のディナーを食べに街まで出かけた後、運動場にもどり早めに並んで待つ。2時問程で花火とカウントダウンでスタートが切られたが先頭の様子は皆目わからない。10時半頃になってやっと我々の出発となる。夜中なのに太勢の見物人、はるか先まで赤い尾灯が運なり肩も触れんばかりの大集団がうねるように走る。私も興奮していたのだろう、前へ・前へと前走者をパスして行く。スタートの時一緒だった仲問3人とも逸れてしまったが自転車の列は途切れる事なく続いている。 ところが何時の問にか周りに誰もいない。かなり速度を落として走っても誰も追いついてこない。「これはミスコースかなぁ・・・」と思ったが郊外の山の中で人っ子ひとりいない道、しばらく走っていると十字路があった。…交差点で途万にくれていると対向車が信号もないのに交差点で止まったまま・・・・。 歩いて行って尋ねてみると、初老の紳十から「PBPか? 道が違う、車の後ろをついて来い」と言う。しかしもし迂回ルートでシークレットPCをパスしたら失格になってしまうので「いや、ミスコースが解かったから来た道を戻る。」と言っても 「ゆっくり走るからついて来い」 というばかり。 しょせん片言英語同士の会話だから良くは通じない(苦笑)。 「しょうがない、この老夫婦に賭けるか・・・」と決心。 車の後ろを走り出す (ゆっくり行くから・・・と言っていたはずだが結構速くて、なだらかな山間部を必死で追走。)すると15分ほどでルートに復帰し自転車集団が走る道に戻る事が出来た。フランス人は英語を知っていても旅行者には知らないフリをして話さないと聞いた事があるがそんな事はなかった、お互いに片言英語で理解しようと必死であった。分かれるときはフランス語で「メーシィ」と礼を言い集団に復帰する。 まだ 1/30ぐらいしか走ってないのに・・・・先が思いやられる・・・(笑) 結局最初に休憩したのは223㎞地点の第1コントロール・ポイント(以下CPと略)絶好調のまま最初の夜を走り通す事が出来「小休止のみで又走り出す。第2CPもチェックのみで通過した。 この先に撮影ポイントがあると聞いていたがl、軽い登りの途中にカメラマンが見えたので元気なフリをしてダンシングで通過した。(ゴール後にお気に入りの一枚を購入) 第1CP直後の撮影地点:236㎞ 2日目、なんと日本人の先頭集団に-PBP ブルベ1,200km 激走中 第3CPには日本人の先頭から30分ほど遅れて到着したようだ、「彼等が休んでいたならかなり追いついたはず…」とサインも早々に出発、まもなく50人ぐらいの大集団に追いつきそのうちに日本人仲間とも合流する。内海、泉、山崎氏の3名に私、おそろいの日本ジャージで次のCPまで一緒に走る。集団走行では風の抵抗が減るし、なにより日本語でおしゃべりしながらの走行は楽しい。しかしたいした休息も取らずに走り続けた私にはそろそろ限界が見えて来た。19日18時24分、日本隊サポートのいる第4CPで大休止を決め込む。着替えを受け取り炊き出しの塩おにぎりを戴き、屋外でレスキューシートに包まり仮眠するがあまりの寒さの為に良く休めなかった。 しかしほんとの寒さはこんなもので無い事はまだ知る由も無し…。仮眠後タイツにアームカバーを着けて走りだすが温まるどころか益々冷えてくる。第5CP592㎞地点、20日の01時48分到着、あまり美味しくないCPのスープと肉料理で腹を満たし廊下に場所を確保して仮眠。良く休めないまま2時間ほどで上着代わりに合羽を着て闇の中へ走り出す。「寒い、死人が出るほどの猛暑(出発前に日本のTVニュースで、「パリの猛暑で何名かの死人が・・・」とやっていた。)は何処へ行った…寒くて死にそうじゃないか!」それに日本と違って畑以外は農家の納屋さえも無く軒下やバス停に潜り込む事も出来やしない。「寒い、寒いよ~っ」と半べそになりながらもひたすら走り続ける。(この日の最低気温は7度)やっと朝日が昇り暖かくなってくるとイグアナの様に道路わきの陽だまりで横になり身体を温める。
by japon-2007
| 2004-10-02 17:03
| ブルベ
|
ファン申請 |
||