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3日目、疲れと睡魔 (※前回、日本人先頭集団に…と書いたが“最速日本人:市川氏”は80時間の部にエントリーで数時間前のスタートなので追いつくはずもなし、我々90時間の部の日本の先頭です) 第6CP613㎞地点ブレストは待望の折り返しなのだがボケた頭では意識もせずにサイン・通過している。 第7CPで会った日本人仲間(どなたか忘れてしまった)と「ブレストの街が…」という話になり「えっ、ブレスト…?」そういえば大きな橋を渡った記憶があるが、あれが河口の港町、折返し地点のブレストだったのね、という始末(^^ゞ ![]() ![]() 写真は多分3日目の夕暮れ時、ライダー:斎藤氏 (撮影;池田氏) さて日本サポート隊のいる第8CPに戻ってきた20日21時31分。着替えを預けてあるのだが寒いので省略、“着たきりスズメ”を決め込み2時問ほど横になるが寒くて何分も寝れなかったが2時間ほど体を休めて出発する。 しかし走り出してもすぐ眠気に襲われる。居眠り運転で路肩の草地にはみ出したショックで目を覚ます始末。あまりの辛さに止まっていると追い抜きながら「アーユー一OK?」と声をかけられるが 「ノープロブレモー」と返す。・・・ホントは助けてほしいぐらい眠い。走っては止まり…走っては止まりの繰り返しだ。 夜中なので人気はないがコース横の庭先にペットボトルとマットの置いてある私設休息所?があったので夜露を避ける為に樹の下へ引きずって移動し、利用させてもらう。 道端のごろ寝では寒くてだいたい2~30分程で自然に目が醒めてしまい出発する。 一方この頃、不眠不休でインターネット上において各CPの通過時間をチェックしていた日本残留ブルベ応援団の皆様には、どんどん遅くなってなかなか次のCPに到着しない私の通過タイムは心配の種だったそうで、この場を借りてお詫びしますm(__)m。 元来、計画的でなく「行け行けドンドン!」な私の作戦は「元気な時はとにかく走る!。あとは出たとこ勝負!」…はたしてこれが作戦と言えるかというと…?(笑)… しかし夜が明けると日の出とともにから元気が出てきて又性もなくセッセと走るのであった。 4日目、天は我を見放したか… 第10CP914㎞地点、21日11時44分、チェックと休息を終え出発しようとした時にトラブルは起こった。「カラン?」ペダルが空回りした。 ん…?「チェーン外れ。」と最初は思ったが最悪な状況なのは直ぐ理解できた。クランクが右にも左にも空回りする。フリーハブのハブが壊れてほんとにフリーになったのだ。 友人には「リタイアかも…」と先に出発してもらいメカサービスまで押して行く。メカ・サービスのおじさんは英語が解かる青年を呼んできてくれた、お互いに片言英語だが必死になると通じるものである。 最初は「任せておけ、すぐ直る。」と言っていたが結論は「修理できない・・・」 「エ~っ!」 リタイアじゃん(悲) ・・・が 「お前はラッキーだ、我々は車輪を用意できる。」 しかし後輪だけだと200ユーロ、前後セットで100ユーロ …って? 3回ほど聞きなおしたが、セット販売で『お値打ち値段』といっているようだ?・・・しかしセットで単品の半額・・・? だけど余ったホイールは持って走れないと言うと「ゴール会場まで届けてやる。」と言う。 まっ安いからいいか! 壊れたホイールと余った前輪をスタートへ搬送してもらうことにしたがゴールしてからの事が心配になり、フランス語でホイールを別送したというメッセージを書いてもらい持って帰った、それがゴール後の回収にも役だった(^^♪ ゴール後に初老のスタッフにメッセージを見せると、「日本語は出来ないが英語は話せる。調べるからちょっとまっていろ。」 と言われ、しばらくすると「今、こちらに向かっている、後で又来てくれ。」 すんごい速い回答です。結構な偉いさんだったみたい(^^♪ ・・・でホイールも無事回収、(壊れたWH-7701は帰国後シマノでクレーム、中身を新品にしてもらいました) 結局、100ユーロでおつりをもらったから、税別で90ユーロぐらいだったのかな。 1セットの完組ホイールが日本円で1万円ちょっと、 ほんと助かりましたm(__)m ・・・で2時問ほど(ホイールは至急で取り寄せ)で再び走り出すことが出来た。 通り過ぎる村々では子供達がハイタッチを求めてくる、道路に向かって一人でアコーディオンを演奏している老人がいたが…たしか往路でも見た記憶があるぞ…3日問演奏しているのだろうか? しかし心は癒されても身体は正直で「ケツイタ」 が出てきた。あまりの寒さにCPでのパンヅ交換を怠ったせいだ。おまけに荒れた路面が疲れた身体とケツを容赦なく鞭打ってくるので、時々スタンディングで紛らわす。 1084㎞地点、22日03時53分、第12CPのボランティアが「キャナイ・ヘルブ・ユウ」 ⇒ 「ノー・サンキュウ」と一度通り過ぎるが、思い直して「私はベットが必要だ」と言って仮眠所へ案円してもら。受付で2ユーロ(約260円)払うと体育館のマットと毛布が利用でき、希望の時間に起こしてくれるので安心して2時問の睡眠をとることが出来た。 最後に一度しか利用しなかったが最初から利用していればもっと快適に走れたのに…と思ったがすでに後の祭。 …つづく… ※このブログはトラックバック承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
はじめまして ずっとブログを存じ上げていましたが・・・ こんな形でコメントをするとは(^^; ラチェットが壊れる、なんてあるんですねぇ。 それにしても運がいいッス。 PCと伊豆の山中…、念の違いでしょうか masaさん、随分と峠道がお好きなようですね(^^)
自動二輪に乗ってた時は品川だったので、湘南・箱根方面はいつも走っていました。
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